「節を屈する」の意味と使い方・類語と例文

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「節を屈する」の意味

「節を屈する」とは「自分の意見を曲げて人に従う」という意味です。「節」とは自分の意思を表し、その「節」が相手に屈するという状態を表しています。「節を屈する」は「節を曲げる」「節を折る」とも言いますがどれも意味は同じです。

元々「節」は「ふし」とも読み、竹の継ぎ目を表します。竹の節目はとても硬く、少々のことでは曲がったり折れたりすることがありません。その強固な状態を人間の意思や強い気持ちに例えて「節を屈する」という言葉ができています。

「節を屈する」の使い方

  • 「私は節を屈してまでも、上司に気に入られたいとは思わない」
    これは自分の意思や信念を曲げてまでも、人に気に入られたくはない、という意味です。この場合の「節」は「自分の意思」を表しています。
  • 「彼はは節を屈して私のために頭を下げた」
    この場合の「節」は「自分以外の人の意思」を表しています。自分以外の人が、その人自身が持つ意思や信念を曲げてまでそれをした、と強調することで、節を屈した人への感謝の気持ちを表しています。
  • 「部長は取引先相手にも関わらず節を屈さずに対応した」
    「節を屈する」は自分の意見を曲げて人に従うことですが、相手に対して堂々と自分の意思を貫く様を表すこともできます。同じ状況であっても「本人の自我が強すぎて周囲に合わせようとしない」など、ネガティブな感情を表す場合には「節を屈する」はあまり使いません。

「節を屈する」の例文

  • 「節を屈するなんて、恥ずかしいことはできない」
  • 「自分が正しいと思うことは、どんなときも節を屈さずにいたい」
  • 「あのとき節を屈したことは今も後悔している」
  • 「彼のすばらしいところは節を屈しないところだ」
  • 「彼女は節を屈しないところが人に好かれる要因かもしれない」

「節を屈する」の類語

  • 「我を折る」
    「節を屈する」と近い言葉に「我を折る」というものもあります。「我を折る」とは「節を屈する」「節を曲げる」などとほぼ同じ意味です。この場合の「我」は「自我」のことで、自分が「こうしたい」「こうでありたい」と感じている信念のようなものと考えると良いでしょう。
  • 「牙を抜かれる」
    「節を屈する」とややニュアンスは異なりますが「牙を抜かれる」も近い意味を持っています。「牙を抜かれる」とは「その人の強みや信念がなくなる」という意味です。強みや信念がなくなるということは、自分の拠り所がなくなるということに繋がっています。その結果、人に流されやすくなったり、自分の意思とは裏腹であっても人に従うようになるためです。「彼は例の件ですっかり牙を抜かれてしまった」などと使われ、あまり良い意味では使われません。しかし、元々自我が強すぎると周囲に思われていた人の場合は「牙を抜かれたことで扱いやすくなった」というややポジティブな意味で使われることもあります。
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